第1回上映作品コメント

ボクはケーキが食べられない

上智大学

あらすじ

食物アレルギーと生きる人たちを追ったドキュメンタリー。10人に1人が発症するとされる食物アレルギー。だが彼らが抱える葛藤はフォーカスされることは少なく、孤立してしまう傾向がある。子供の疎外感、「私が悪い」と苦しみ、大きな負担を抱える親、課題が山積する飲食店対応…そんな中、彼らが食の楽しさを知ることや社会参加に奮闘する様子を取材した。

食物アレルギーの実態と、ご家族の日々の努力に胸が少し苦しくなった。見る人の気を引くテクニカルなタイトルに魅力を感じた。

一番はじめの言葉がお母さんの「ごめんね」「自分のせいだ」と言った言葉から始まり、この映像作品に引き込まれました。また身近にある問題でとても考えさせられる映像でした。

私自身、甲殻類などのアレルギーがあり共感できる部分が多かったです。アレルギーの食品を抜いた料理についてや家族の考えなどを知ることが出来て良かったです。

アレルギーを持つ子どもとその家族が、悩みを抱えながらも闘う様を上手く映像にしていたと思う。健常者にはわからない、アレルギーを持つ人の苦労を上手く映像にして伝えていた。

食物アレルギーについて自分自身は経験したことがないため今までは「大変だなぁ」と思うだけであまり深く考えたことがなかったが、この作品を通して、自分よりも小さい子が小麦粉や卵や牛乳などたくさんの場面で使われている食材が食べられず悩んでいたり、食べられるようになるために辛い練習を重ねているという現実を改めて知った。実際に自分の子供が食物アレルギーを持つ可能性があることやその時に自分はどう動けるのかについてすごく考えた。この作品は、私達に食物アレルギーについての現実や実際の取り組みを伝えてくれるだけでなく、食物アレルギーに対する考え方やそれに関わる将来について考えさせてくれる。

私の親友も重度の食物アレルギーで在学中に治療を行い、数ヶ月学校にもいけないほどの症状がありました。一番近くにいる身として何ができるのか、症状などを調べましたが、ネガティブに捉えてしまっていました。そのうちその子は、自分自身が食べれる「フォー屋さん」や「ベジタブルラーメン屋さん」を見つけて、私に新しい食のおいしさを教えてくれ、そこからは特に気を遣う事なくその子が食べられるもので純粋に食事を楽しむことができました。私はこの経験があったから気づけましたが、なければ気づけなかったです。世間的にアレルギーに対してまだまだ理解が足りない中、この動画を見る事でアレルギーに対しての考え方が変わって、気を遣うのではなく理解するという視野が養われると思います。この動画が広まってみんなが一緒に食事を楽しめるようになって欲しいと強く思いました。

ガンチョウとター公~消えた1940年の夢

あらすじ

81年前、戦争のため中止となった「幻の東京オリンピック」と呼ばれた大会があった。関西大学にも、かつて同オリンピックを目指していたアスリートがいたことがわかった。彼らはどのように競技と向き合い、どのような人生を生きたのか。そして「東京2020」オリンピックを経た今、幻の大会は今を生きる私たちの目にどう映るのか。一次資料の調査や遺族の開き取りを通じて、彼らが願い続けたある「思い」が浮き彫りになった。彼らが残した苦悩の痕跡と栄光の爪痕と向き合い、先の世代に繋いでいく姿を記録した。

戦争は夢や努力をも消し去ってしまう残酷なものだと改めて感じた。同じ学生がつくったとは思えないハイクオリティな構成に自然と見入ってしまった。

取材力に驚きました。戦争は人の命を奪っただけではなく、幻の東京大会への夢なども奪ったと考えると悔しいなと感じました。

戦争によって夢を奪われた青年達を思うと胸が痛くなる作品だった。ナレーションがとても聞きやすかった。

すごく人の心を動かす作品だと思った。良きライバルとの戦争・親友の死を経て尚、強く生きた人々を見て、これからの人生で何か辛いことがあっても強く乗り越えて行かないとと思った。

普段私たちが何気なく生きている今は、先人たちがどれだけ望んでも生きられなかった今なんだと改めて感じた。どれだけ努力しても夢を叶えられない状況からすれば、いかに私たちの環境が恵まれていているかを痛感し、力強く生きる活力になるような作品だった。

一人一人の人生に歴史があって、その中でやりたくてもやれなかったことや乗り越えてきたことが必ずあり、それを読み解く重要性を感じました。コロナ禍で様々なことが中止となり、やるせない気持ちになった私たちの世代にとって通じるものがありました。今まで紐どかれていなかったことが明らかになる際の感動、困難さに立ち向かう強さ、友人との関係などに心を打たれ思わず涙が出る作品でした。

様々な時代背景のなかで、前へと進み続けるアスリート選手たちの想いが映像から伝わってきました。素晴らしい作品です。

戦争によって自分たちが全力を捧げる場所がなくなった虚しさや、仲間を失う悲しさがあったにも関わらず、たくましく生きた人の過去が、自身も環境や人のせいにするのではなく力強く生きたいと思わせてくれた。私たちと同じ大学生に焦点を当てた映像で、大学生を鼓舞するように感じた。

普段私たちが何気なく生きている今は、先人たちがどれだけ望んでも生きられなかった今なんだと改めて感じた。どれだけ努力しても夢を叶えられない状況からすれば、いかに私たちの環境が恵まれていているかを痛感し、力強く生きる活力になるような作品だった。

2022 濃厚接触日記

あらすじ

同じ授業を受けていて濃厚接触者になった大学生8人が自宅待機の様子を撮影。それぞれの過ごし方や心境を記録として残した作品。コロナ禍3年目の体感を共有することで見えてきた光とは。

自宅待機は私自身もなったことがあるので共感が持てた。実際に自宅待機なので全員で集まって撮影できない分、上手くzoomを利用しているなと感じた。

濃厚接触者になっている今を撮ることで、その時に感じた学生たちのリアルな声を聞くことができる映像でした。

濃厚接触になった学生の素直な想い、生活を感じることができました。

この作品は今の私達に1番身近なことを題材としていて、とても共感することができた。実際にこの3年間私たちはコロナウイルスと共に生活してきた。その中で多くの人がコロナになったり濃厚接触者になったりしただろう。今の私達にとっては当たり前になってきていて、あまり大事に感じないかもしれないが3年前の私達にとってはすごく大事だった。作品の中でもあったが、今でも実際にコロナに感染したり等実際自分の身に起こると不安になる。人は慣れていないことに対して不安を抱く。しかし、その危険感か不安感は時間が経つとどうしても薄れてしまう。実際にその出来事が起こった時にどう思ったのか,どう考えたのかをドキュメンタリーという形で記録に残しておくのはすごく良い事ではなないかと思った。

新型コロナウイルスが与える世間への影響は日々変化していて、今現在は感染や濃厚接触者になったとしても以前よりは周りからの注目は浴びない状況です。この映像を視聴することによって、ほんの1年前はまだまだ世間からのコロナに対する眼差しが厳しかったことを思い出しました。その状況を映像にすることは後世に、パンデミック禍で混乱に陥らないことの重要性や人々に冷静な目線を与える教訓になると思いました。

コロナウイルスが流行し、ズームなどを使ってオンラインでつながりを持つということに対して今は違和感を持たなくなったが、5年前の自分がこの映像を見ると奇妙な光景だなと思うのではないかと感じた。

えがおつなぐえんがお

あらすじ

栃木県の一般社団法人「えんがお」。彼らは高齢者の孤立化の予防・解消を目指して活動をしている。今の社会に足りないものは何か、「えんがお」の活動とともに、地域課題について考える。

老後の孤独に対する不安などを少し軽くしてくれる映像でした。社会との繋がりが希薄化している中でもこのような活動がある事を知れ良かったです。

高齢者のみならず活動に参加した若い人が生きる活力を持てるようにという願いに深く感動した。カメラの動きが少ない分、しっかりと内容に集中して視聴できる映像であると感じた。

私にも今は独り身の祖母がいるので、こういった施設があればいいなと思った。どういう思いで施設をつくり、これからどうしていきたいかを上手く伝えていた。

えんがおの活動についてこのような取り組みはすごく大事だと思う。実際に地域の人々にとってとても大切な憩いの場所になっていることが作品を通して伝わってきた。また、高齢者が楽しそうじゃなかったり孤独だと、若い世代が未来に希望を持てないということにすごく共感した。こういった憩いの場があるのはどの世代にとっても大事なことで、その場所があることがある人にとって生きがいになっていたりするのだろうなと感じた。

高齢者の孤立化は今後増え続ける課題だと思います。このような制度は、今を生きる人々の希望になっていると感じる映像でした。

92歳戦争体験のうた

あらすじ

主人公の羽田野トミさん(92)は、戦時下で辛苦な暮らしを送ってきた。終戦後も親同士によって決められた不本意な結婚生活を経験。離婚を経て娘と離れ離れになってしまう。そんなトミさんを支えたのは教員として働くやり甲斐だった。老後は短歌会のリーダーや俳画教室の講師を務め精力的に活動する。一人の女性が時代に翻弄されながらも、逞しく生きる様子を描いた作品である。

つつみ隠さず、ありのままを伝えており、「ドキュメンタリー」の本質について深く考えさせられた。辛い経験をしながらも、タフに生きる92歳の女性を取り上げることで見ている人を勇気づけることができるような作品だと感じた。

今では想像もつかない戦時下での暮らし・学校生活は耳を疑いたくなるような話で衝撃でした。それでも強く生きる一人の女性の今を迫った映像は多くの人が見るべき映像作品であると感じました。

この作品を見て、私もこのように逞しく歳を重ねたいと思った。若い頃に戦争という大きな出来事を経験して、そこからの連鎖で自身の思うような人生が送れなくてもその中で自分にとっての生きがいを見つけて逞しく生きる姿にとても感動した。きっと誰もができる生き方ではないだろうし、簡単にできることではない。現在学生の私にとって、これから思い通りにいかないことはたくさんあると思うが、その中でも自分が強く生きていくための何かを見つけて逞しく生き、自分が楽しかったと思えるような人生を歩みたいと感じた。

トミさんのインタビューを通じて戦時中の暗い悲しい想い出と共にいきいきと生活している現在が表れていました。

92歳とは思えないほど、元気に日々を生きているこの方に勇気づけられる作品でした。辛い過去があったとしてもそれだけに囚われずに、日々過ごす中での幸せに気づき、ひたむきに生きていくことの大切さを感じることができました。

壮絶な過去と楽しそうな今の対比がよく伝わった。卒業して60年以上経っているのに未だに会う教師と教え子の関係は素敵だなと思った。

コットンダイアリー

あらすじ

コロナ禍で足元の暮らしを見つめ直すことの大切さに気づいたコットン(監督の小学校からのニックネーム)は、地元兵庫県小野市とその周辺で、ちょっとしたこだわりを持ちながら明るく前を向いて生きる人々との出会いを重ねていく。彼らから受け取ったのは、どんなに困難な状況にあっても、すぐそばに確かな幸せが存在するという宝物のような教えだった。

コットンダイアリーという柔らかなタイトルとは対照的に、人生とはと深く考えさせられる映像であった。テロップが少ない分、映像に没入することができた。長い映像であったが、あっという間に見終わってしまった。

料理の音、黒豆の葉を触る音など自然の音が聞いていて心地よく、大学生で就職活動に悩むリアルが表れていました。

見ている自分に語りかけてくれるような自然な映像で、一つ一つの言葉が学生である自分にとても響きました。

まな板の上で野菜を切る音、火をつける音、鳥の囀り、風の音など、なぜか心がホッとする懐かしいような、でも新鮮な音の描写が素晴らしいと感じました。大事な決断や、選択は、何か特別な体験から生まれるのではなく、日々生きる中で自分がどう感じて、人からどう支えられて、生きてきたのか。それが沢山集まることで一つの選択の理由になると思いました。日々を記録したり振り返ったりする重要性を感じ、これから就活などで自己分析をする際にも参考になりような映像です。

撮影者の日常と、彼女に関わる人が、日記のように綴られていて面白かった。

普段の生活をしていると、日常の中の幸せや大切なことに気づかないことが多いなとこの作品を見て感じた。改めて日常を振り返ると、幸せだなと思う瞬間はたくさんあるが普段の生活の中で私はそれを見落としていることが多いなと思う。私ももっと日常の中にある素朴だけれど確かな幸せを見つけていけるような人になりたいなと思った。

おてらおやつクラブ~おそなえ・おさがり・おすそわけ~

あらすじ

日本では7人に1人の子どもが貧困であると言われ、満足に食事をとれない子どもが数多く存在する。
一方、お寺ではたくさんのお供え物が集まる。その中でも青果物は傷みが早く、お寺の人たちだけではすべてを消費しきれずにいた。こうした社会の“ない”とお寺の“ある”を繋げ、2つの課題を同時に解決する取り組み「おてらおやつクラブ」を取材した。

ナレーションやインタビュー、図を上手に使っており、ドキュメンタリーの番組を見たかのようでした。人に言い辛い貧困などの社会問題について改めて考えされられました。

私はこのような支援制度があることを知りませんでした。この映像を見て、私自身も日本にある社会問題を認識し、向き合っていかなければならないと考える機会となった映像でした。

テレビで流れてそうなほど、構成や編集技術の高さを感じた。お寺の人々の交流がありのままに描かれていてリアリティがあった。

お寺のお供え物を貧しい子どもたちや施設に配るという取り組みはすごいと思ったし、もっと広まって欲しいと思った。

全体を通してキーワードが明示されており、内容が頭の中に入りやすいものでした。社会の課題と、一つの人が抱える課題をお互いで共有し、解決に導くというプロセスが見えて、視聴者に行動変容を促すきっかけになる映像になると思いました。

作品の中であったように日本での貧困はあまり目に見えないのだと思う。このことを多くの人が知っていかないと問題の根本的な解決にならないというのもとても納得した。この作品を見るまでは私も貧困というと外国のイメージがあり、日本で貧困に苦しんでいる子供がそんなに多いと知らなかった。また、その問題に対して”おてらおやつクラブ”のような取り組みがされていることも知らなかった。今回私がこの作品を見て学んだように、もっと多くの人にこういった作品を通して日本の社会的課題を知ってもらいたいと思う。

水路と生きる

あらすじ

淀川左岸に位置する寝屋川市には、古くから水路が豊富にあります。都市整備が進む一方で、それらはフタで覆われたり、コンクリート水路に整備されたり、本来の都市の水景がないがしろにされつつあります。当研究室では、市民一人一人が、消滅しつつある、そうした見過ごされがちな土地の風景価値をどのように再編し、デザインできるかを検討する「地域資源見える化プロジェクト」に取り組んでいます。本作品は、寝屋川市の隠れた存在でもあり、豊かな地域資源とも言える水路とその存在への気づきを映像で表したものです。

考えたことのない視点での映像で斬新と感じました。

水路をこのような視点で見たことがなかった。この短い映像でも、視点が変わると見 見えるものが変わってくるのだなと思った。どんなことについても色々な視点から見ることができる人になりたいなと思う。

見過ごされがちな価値を再認識できる映像でした。変わりゆくものと現在ある大切なものとの関係性をとても考えさせられました。

自分の街のことを見直すきっかけになる作品だなと思った。

アヒルのおもちゃが水路を流れるというシンプルな映像の中で刻まれる言葉が印象的でした。視聴者に何を伝えようとしているんだろう?と考えさせるきっかけを与える映像だと思いました。

無題

あらすじ

澤田真一さん(通称しんちゃん)(41)の陶芸作品は、イタリア・ヴェネツィア・ヴィエンナーレ展に出展されるほど世界的に評価されている。彼は自閉症というハンディを抱えながら、陶芸に出会うことで才能を開花させた。その環境を整え、最も近くで支えてきた、支援員の池谷正晴氏(90)へのインタビューを通して、障害者への支援のあり方を提起するドキュメンタリー映像作品。

無題の意味や考えを聞いて、どんなことでも型にはめることが多い世の中で、型にはめる必要はないのではないかと考えさせてくれる作品だった。これから生きていく中でこの考えは自分を楽にしてくれる・成長させてくれると思う。

池谷さんが、作品の題名を「無題」にする理由が、池谷さんの考え方を表していていいと感じた。私たちは障がい者の方々を、私たちが思う枠に当てはめてしまっていたのだと考えさせられる作品だった。

映像によって切り口が違っても伝える根底の内容は何事にも当てはめられるということがドキュメンタリー映像の魅力だと感じていて、その点でこの作品が一番当てはまると思いました。 「相手を受け入れて、型に当てはめない」という、人として誰かと生きていく上で重要なメッセージは、学生に対しても大人に対しても忘れてはいけないことだと思うので選びました。